鰐淵晴子さんは天才ヴァイオリニストとして話題となった方です。
女優や歌手としても活躍されていました♪
そんな鰐淵晴子さんにはハーフであるという噂があります。
今回は、鰐淵晴子さんがハーフとい噂や夫・娘さんなどの家族構成を詳しく調査しました。
鰐淵晴子はハーフ?
鰐淵晴子さんは、父親が日本人で母親がオーストリア人のハーフの方です。
お父さんは鰐淵賢舟さんで日本のヴァイオリニストですね。
お母さんがオーストリア人でハプスブルク家の末裔とも言われるベルタさんです。
鰐淵晴子さんがそんなお二人の間に生まれました。
ここで生年月日や出身からピンときた方もいるかもしれまん。
なんと鰐淵晴子さんが生まれたのは東京大空襲の1ヶ月後、それも防空壕の中だったそうです。
お母さんのベルタさんがいかに大変だったかわかりません。
お父さんの鰐淵賢舟さんは、プラハ音楽院で学ぶほどヴァイオリニストとしては有名な方だったようです。
帰国後は、3歳の鰐淵晴子さんに英才教育をしていたそうです。
【プロフィール】
- 名前:鰐淵晴子(わにぶち はるこ)
- 生年月日:1945年4月22日
- 出身:東京都
- 身長:165cm
- 体重:48kg
鰐淵晴子さんは、お父さんの英才教育や努力の成果があらわれ、天才ヴァイオリニストとして話題となりました
8歳で全国ツアーをするほどだったそうです!
さらに鰐淵晴子さんは、1952年に映画「母子鶴」で芸能界デビューもされます。
1955年の「ノンちゃん雲に乗る」では主演だったこともあり注目を集めました。
鰐淵晴子さんは、英語やドイツ語を話せることから国際派女優としても高評価されていたようです。
現在でも充分すぎるほどすごいのですが、時代を考えるとさらに鰐淵晴子さんの魅力が伝わってきます。
鰐淵晴子の夫や娘などの家族構成は?
鰐淵晴子さんは2度ご結婚されています。
鰐淵晴子さんの夫や子供さんについて詳しく見ていきましょう。
最初の夫は社長令息の服部歊
最初の夫は現在セイコー(当時は服部時計店)の社長令息であった服部歊さんです。
軽井沢に避暑のために滞在していた際に出会ったそうです。
1968年にご結婚されて話題となりましたが、なんと1969年には離婚されました。
お互いに仕事が忙しかったと思いますので家庭生活を楽しむということは中々できなかったのかもしれませんね。
2度目の夫は写真家のタッド若松
2度目のご結婚は、写真家のタッド若松さんです。
1972年にニューヨークでご結婚されました。挙式は極秘に行われたそうです。
約14年後にはタッド若松さんとも離婚されています。

鰐淵晴子さんとタッド若松さんの間には子供さんがいらっしゃいます。
娘の鰐淵理沙さんです。
鰐淵理沙さんは現在ソプラノ歌手として活躍されていますが、鰐淵晴子さんと同じく芸能界でタレントとして活動されていたこともあります。
鰐淵理沙さんの子供さん、鰐淵晴子さんにとってはお孫さんも音楽を始めたそうです♪
鰐淵晴子のまとめ
- 鰐淵晴子さんは天才ヴァイオリニストとして有名
- 父親が日本人で母親がオーストリア人のハーフ
- 1952年に映画「母子鶴」で芸能界デビュー
- 英語やドイツ語が話せることから国際派女優として高評価される
- 鰐淵晴子さんは2度結婚している
- 最初の夫は現セイコーの社長令息であった服部歊
- 2度目の夫は写真家のタッド若松
- 鰐淵晴子さんとタッド若松さんの間には子供がいる
今後も鰐淵晴子さんや娘の鰐淵理沙さん、お孫さんの活躍が楽しみですね♪
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